くぬぎさ
「味方はたくさんいたほうが心強いだろ?」 そう言うあの人に焦りを覚え、恐れを抱き、そして察する。 世界は、こんな人が変えてしまうのだと。 目覚めると教室には誰もいない。薄情なクラスメイトはもう移動してしまったようだ。まあ私に声をかけてくるような子はいないと思うけども。 次の授業はピエール先生の野外実習だ。学校の敷地内にある広大な森を使っての実践訓練ということだが詳しいことはよくわからない。他のクラスもいくつか参加するようで既に廊下は閑散としている。学校ではないみたいだ。 ──さっきの夢はなんだったのだろう。 男の体をした私は誰かと旅をしていたようだ。その道程は楽しくて快適で、ピカピカ輝いているようだった。最後に何か悲しいような、よくわからない感情が溢れて、弾けて、目が覚めてしまった。彼は一体誰なのだろう。あの、どこか寂しそうな瞳をした彼は何を成すのだろう。 森の前に着くと既に説明が始まっていた。どうやら魔物退治らしい。確かに鬱蒼としていて薄暗い森での魔物退治は良い訓練になりそうだ。何せここは対魔士《ハンター》を育てる学校なのだから。 「強いものもいますが、出たら私が守ってあげ……あ、あなた達のためじゃないですからねっ。私のためなんですからっ!」 今日も先生のツンデレ(?)っぷりは全開のようだ。あれをツンデレと称すには些かの抵抗があるのだけれども。いかんせん立派なおヒゲをお持ちの見目麗しい、どこからどうみてもおっさんなのである。……なんであんな性格に歪んでしまったのだろう。先生を囲んでいた生徒が数歩引いているのが目に見えてわかるのがどこか物悲しい。 「……死ねばいいのになぁ」 ぽそりと呟いてみる。先生には同情もとい憐みの感情の他に異様に強い嫌悪感がある。なぜだかわからないのだけれども、たぶん、生理的に合わないのだろう。 「それでは各自、が、頑張ってきなさい! 怪我しても知らないですからねっ!」 森へ入ると先程まで照りつけていた陽光が木々に遮られ、まるで夜になったかのような暗がりが広がる。それでもその中を駆ける。理由は三つ。一つ、私は暗闇に眼が慣れているためこの程度ならば問題ない。二つ、魔物を狩った分だけ成績に入るため急いで損はない。三つ、誰かが、先ほどから尾行している。 目の前に迫った太めの木で身を隠し、袖からワイヤーを伸ばして枝の上へと上がる。目標を失った誰かが左右を見回して立ち止まった。 「……死にたいの?」 彼の背後へと降り立ち、ナイフを首筋へと押し当てた。刃物は引かなければ対象を裂くことはできない。まあよく研いでいるから切れているかもしれないけれど。 「まっさか~。いやあ、バレてるとはねぇ。うん、さすが」 両手を上げつつそう言った彼の声音に恐怖の色はない。むしろ楽しんでいるようにも思える。きっと馬鹿みたいにヘラヘラと笑っているに違いない。 私はナイフを下ろして間合いをとる。こういう相手からは距離をとって警戒しておいた方がいい。 「別に何もしないよ~。隣のクラスに凄腕の女子がいるって聞いてさ! ほら、ウチの学校ってあんま他のクラスと関係を持てないからさぁ。それでどんなゴリ……淑女か気になって探してみればなかなかに可憐な子じゃないか。包帯をあちこちに巻いてたり右袖を改造して武器倉庫にしている辺りがとってもキュート、ってどこ行くのさ」 あまりにも長かったし、先刻木の上から魔物の影を確認していたため思わず無視してしまった。 「俺はハルジオン。ハルでいい。なんだったらお兄ちゃんとかでも」 「カラス」 言い捨てて魔物の居た辺りへと駆ける。帽子の影になっているにも関わらず意外そうな顔をされたのがなぜか見えた。帽子に下がっている人形がぷらぷらと揺れている。笑っているのだろうか。私の名前はそんなに変なのか。……というか、まだついてくるのか。邪魔をしなければ別に構わないけれど。 前言を撤回したい。邪魔。ウザい。 私とハルジオンの周囲には二匹の狼系の魔物の死体が転がっている。ナイフにこびり付いた血を袖で拭き取り、魔物の耳につけてあるコードと呼ばれる銀の金属輪を外す。これで森の中の魔物を全て管理しているのだとか。にわかには信じられないがこうして物が手元にあるのだから信じざるを得ない。 金属輪を袖に仕舞いながらハルジオンへとナイフを向ける。 「……あなた、やる気あるの?」 「なんの?」 「これは授業で……」 言いかけてやめた。なんで私がこいつのことを気にかけてやらないといけないんだ。そんな義務も義理もありはしない。今はとにかく獲物を探して狩らなければ。 そう決断してハルジオンに背を向ける。目を凝らせば影の一つや二つ……見つけた。 「なんでおまえはそんなに一所懸命なのかねぇ。いや、追い詰められているのかな」 影の方へと歩き始めていた私を止めるには適切な、的確に痛いところをついてくる言葉ではあったがそれも一瞬のことだ。そう、その言葉の力はほんの些細なものにすぎない。 「どうしておまえは一人で行動するんだ?」 目標を探し、歩く。 「お兄ちゃん、疲れてきちゃったよ。休もうよ」 目標を目指し、駆ける。 「ほら、へそバツくんのおなかもきゅるきゅる鳴ってるぞ」 目標を容赦も加減も一切なく、殺す。 「お、カラスっ。あそこ見てみろよ。キレイな蝶が飛んでるぞ」 殺す。殺す。殺す。 「ねぇ~、お茶しようよぉ」 「どこに実習中にお茶するアホがいるのっ!」 とうとう堪え切れなくなって叫んでしまった。なんでそんなに和んでるんだ。というか猫だの鳥だのどこから湧いて出てきているの……。もうなんなんだこの人っ! 怒鳴られたハルジオンはきょとんとした顔の後にしてやったり、といったような嫌な笑顔を浮かべている。ムカつく。なぜこうも私を乱してくるのか。調子を狂わせてくるのか。 ……ふと、思い出す。夢の、あの男もこんな男ではなかっただろうか。 もう二言三言ぶつけてやろうと思った矢先である。背後に広がる木々の奥からバキバキと、まるで巨大な生き物が木を薙ぎ倒しているかのような轟音が響く。慌てて振り返ると、そこには比喩でも何でもなく、実際に現実に──ここで比喩を使えば正に津波のようとでも雪崩のようとでも言えるような勢いで――何かが迫ってきている。 「な、なにあれ」 「おお! 龍種じゃないか。ピエール先生、あんな生き物まで使役しているのか」 姿があらわとなった龍の角には金色に輝く金属輪が付けられている。ただサイズが合っていないようでやたらに小さい。 ……もしかしたら、これはあくまで推測だが、仔龍の時に飼っていたが大きくなりすぎて扱いきれなくなり森に放した、と考えられないだろうか。うーん……妙に信憑性があるのはなぜだろう。それはともかくとして金属輪が付いている以上つまりはあれも。 「授業で扱うような獲物じゃないでしょ、あれ」 どう考えても龍種を強いものに含めるには無理がある。こいつを相手にできるような生徒はこの演習にはいないだろう。というか先生でも厳しいじゃないだろうか。 「今こそピエール先生の出番でしょっ! 先生。ピエールせんせーいっ! 出てきなさいヒゲー!」 叫んでみたものの先生が現れる気配はない。守ってくれるんじゃなかったのか。あのヒゲ、やっぱり死ぬべきだ。 いよいよもって龍が木を薙ぎ払いながら目前へと迫ってきている。ハルジオンはというと呑気なことにウサギと鹿と──ってなんだあの森の仲間たちは──とにかく戯れている。 「この緊急時に何やってんのっ!?」 「いや~、参っちゃったね。どうもうさぎさんが迷子らしくてさ。鹿くんが連れてきてくれたのはいいんだけどどうしたらお母さんを見つけられるか模索してるってわけさ」 「あなたあいつ見えてる? 龍なのよ。この地上で最強の生物なのっ!」 ハルジオンはそれを聞くとあからさまにやれやれといった雰囲気を醸し出しつつ立ち上がる。 「じゃあ俺はこの地上で最強の無生物を味方につけてるさ」 そう言うな否や帽子からぶら下げてあった人形を丁寧に外す。そのまま強く握りしめ、間近に迫った龍の口元へと放り投げた。何が起きるのか見守ると、龍は飛んでくる人形を……食べた。 「……って、食われたわよ」 「食われたな」 二、三発殴っていいだろうか。という思考を展開した時には既に胸倉を掴んでいたので思考をする必要はないのかもしれない。このまま流れにまかせて殴ってもいいだろうがいかんせん状況が状況である。龍は次の標的を私たちにしたようで──私たちはおまけで森の仲間たちが主だった標的だろうが──ぎょろりとした眼を向ける。そういえば入学したときに生命保険に加入していた気もする。受取人は誰だったかな。そんなことを考え始めていた時だ。 「そろそろ手を外してもいいんじゃないか」 ハルジオンがそんなどうでもいいことを言う。確かに逃走するならば身体が自由な方が良いだろうがアレから逃げられるとは思えない。 「もう大丈夫さ。決着はついた」 何を言っているのだと問おうとし、やめる。その答えは誰が見ても明らかであり、わざわざ問う必要などないからだ。 龍が、動きを止めた。 先程まで猛然と、私たちを食らわんと迫っていた龍が、だ。これは異変であり、吉兆である。しかしながら口を吐くのは喜びよりもまず問いだ。 「……なんで」 なんで龍は動きを止めたのか。その答えも言葉は必要としなかった。龍の口から先程の人形が飛び出てきたのである。人形はその背に申し訳程度に生えた羽で飛行し、私の目前で静止。やってやったぜと言わんばかりに右手をクイクイと上げる。 「は、はは。なにそれ、反則でしょ」 人形は龍の中でそれはもう酷いことをしたのだろう。刃を弾く鱗を備えた龍も身体の中まではそうもいかなかったらしい。人形の、その形状のどこにそんな武器があるのかはわからないが、自律行動をする地点で私の常識の域を超えている。何があってもおかしくないというものだ。 とにもかくにも私たちは危機を乗り切ったというわけだ。首だけでハルジオンの方を向き、 「ねぇ、ハ、ル……」 何か、声をかけようとした。だがなぜか声が続かない。なぜ声が出ないのか理解するのに少し時間がかかった。腹部に痛み。見ると、悠然と飛んでいた人形がめり込んでいる。 「な、にを」 「必要悪さ」 倒れそうになる私を後ろから抱えるように支え、ハルジオンは語る。 「おまえは人が、自分が死んだ時が自分の物語の終末だと思うかな? それは少し、ほんの少しだが違うんだ。 人は夢を見るね。望み、願い、恨み、呪い、日常、非日常、自分の死だって見ることができる。夢は人に対して非常に、非情に寛容だ。 所詮、夢幻。だけれど、無限。 夢が現実に、現実が夢になれば、人は幸せになれるかな。おまえは、今、幸せかな。この心地よい夢という現実は」 何を、言っているのだろう。だめだ。頭が朦朧として、虚ろで。……虚ろなのは、何? 「ま、俺はおまえの味方だよ。おまえが何を選択しようと、だ」 ぶつり、暗転。 目覚めると真っ白な、清潔にしてますよと威張っているような部屋に放り込まれていた。要するに保健室。ベッドの中。顔を横へ向けると白衣の女医が心底うれしそうに微笑んでいる。 「いらっしゃいカラス。今期はまた随分のここへ来るのね」 「怪我人をうれしそうに迎えないで欲しいな」 「あら、うれしいことにうれしいって反応ができなければ何のために感情があるのかしら」 くすくすと笑う女医は、暇なのか離れようとしない。 「シャルル、今何時?」 「シャルロッテ先生。もう鴉も一緒に帰る時間よ。……よくわからなかったかしら。もう夜に近い夕方よ。まったく何したらこんなにぼろぼろになって意識を失うのかしら。私としては楽しいけれど貴女には……」 聞きながら先程のことを考える。龍を倒した人形。人形の謎の行動。記憶の断絶。靄がかかったようにうろ覚えな男の顔。唯一はっきりしているその男の言葉。 『俺はおまえの味方だよ』 それ以外のことを思い出そうとするがさっぱりわからない。何か、何か大事なことを言っていた気がするがこれもわからない。わからないことだらけだ。 「あら、貴女にしては戦果が少ないわね。調子でも悪かったのかしら。お肉食べてる?」 シャルルが弄っているのは私の袖の荷物である。危ないものも入っているからあまり触って欲しくないのだけれど彼女は言っても聞いてくれないから好きにさせる。 「調子は悪くない。肉も食べてる」 「そう? じゃあさっき購買でもらったこれはいらな」「いる」 戦果というのは金属輪のことだろう。そんなに少なかっただろうか。十個はあったはずなのだが。袖を覗くと……きらりと輝く輪が。 「……すくなっ!」 金色に輝く小さなそれが、たった一つだけ。
Fin